19歳6か月の老猫サブ(♂)
家の中での力関係は私を最下位だと思っているらしく、いつも私をこき使ってくれるサブです。
でも、それでいいんです。
元気でいてくれさえすれば、どんなにこき使ってくれても。
今、心からそう思います。
ある日を境に、サブは闘病生活に入りました。
お別れの時が刻一刻と近づいていることは間違いないのでしょうが、
少しでも長く一緒にいたいと思っています。
万一の場合を考えただけでどうにかなってしまいそうに苦しいのですが、
たまたま「老猫 介護」で検索したら同じように最愛の猫ちゃんと一緒に病気と闘っている方のブログにたどり着き、いくつか読ませていただきました。
勇気をもらいました。
ありがたかったです。
私も、遅ればせながらサブとの闘病の記録をここに残しておきたいと思います。
2010年 8月16日一泊二日の帰省から帰ってくるとサブがぐったりしていました。
冷房をつけっぱなしで行ったので部屋の中は涼しいですから熱中症ではありません。
エバは元気に走り回っているのにサブだけ元気が無い。
もともと元気が無いから帰省の旅には耐えられないだろうと思い留守番させたのですが、
さらに元気がなくなっているようです。
ごはんを食べようとしません。
急いで動物病院へ連れて行きました。
診察の結果、老齢の猫のほとんどに見られる腎臓疾患だと言われました。
腎臓の機能が不全で、体中に尿毒が回ってしまう状態だと・・。
「老齢の猫でこの症状が出た場合長くありません。半年かもしれないし一か月かもしれません・・」
といきなりの余命宣告までされてしまい、妻が泣き崩れました。
猫の場合は腎臓の機能のほとんどを失うまでは症状が出ないので、見た目で気づくことは不可能だから定期的な健診が必要なのだと教わりました。
この日からサブとわたしたちとの闘病生活が始まりました。
とにかく毎日病院へ連れて行き、皮下点滴をしてもらうことにしました。
背中に針を刺して、皮膚とお肉の間の隙間に電解質輸液「ラクテック注」を注入して、尿毒を薄めるとともに尿と一緒に排出させるためです。
一回あたり3,000円です。(汗)
8月18日初めての全身痙攣がサブを襲いました。
お昼のご飯の時間になり、お皿の場所まで歩いてきたサブの前脚が突然カクンと崩れて、
次の瞬間、全身が激しく痙攣し始めたのです。
「サブが死んでしまう!」娘が叫びました。
「サブ!まだ逝くな!まだ逝っちゃダメだよ!」と、私も叫びながら体をさすっていました。
本当にこれでサブとお別れなんだと思いましたが、30秒ほどで痙攣はおさまり、
「ふぅ~」と大きく呼吸をしてくれました。
サブは生きていました。
嬉しかったです。
でも、しばらくはグターーッと体を伸ばして横たわったままでした。
10分ほどすると、よろよろと起き上がって歩きはじめました。
なんとか大丈夫なようでした。
病院へ連れて行き、血液検査をしてもらいました。
その結果、腎臓の90%は機能していないと言われました。
「毎日の点滴が必要です。通院しますか?それとも家でしますか?」
と聞かれました。
考えた末、家での点滴に切り替えることにしました。
病院へ連れて行くこと自体がサブにとってストレスになりますし、毎日3,000円を払い続けることはかなり厳しいことでしたから。
毎日の点滴を続けて行くうちにサブは元気になって行きました。
自分で歩いてご飯を食べたり、トイレに行ったりしますし、何か気に入らないことがあると私の仕事部屋まで来て「ニャー」と僕を叱ります。
たいていは、おやつが欲しいとか、トイレが汚れてるぞとか、そういうお叱りでした(笑)
元気な頃のサブに戻ったようで、嬉しかったです。
8月31日 ソファの上でくつろぐサブ点滴の時間になるとなんとか逃れようと暴れ、私と妻の手を焼かせました。
私が点滴をし、妻が話しかけながら頭を撫でてあげるという役割分担でした。
点滴が終わると、点滴箇所に溜まった輸液を体中に行き渡らせるために妻がマッサージをしてあげます。
サブはこれが好きなようでした。
気持ち良さそうにじっとして妻に体をゆだねていました。
10月1日 ソファの上で威厳を示すサブ(笑)10月18日2度目の全身痙攣がサブを襲いました。
夕食後、皆で少しくつろいでいたらソファーの上で寝ていたサブが突然痙攣を始めたのです。
妻と息子にとっては初めて見るサブの痙攣です。
とても驚いていました。
妻と私とでサブの体を押さえ、舌を噛まないようにと私はとっさに自分の手をサブの口にねじ込みました。
(後でネットでいろいろ調べたら、痙攣時にやってはいけないことを全部やっていました(汗))
この時もサブは乗り越えてくれました。
そして、
10月29日にも発作は起こりましたが、これもサブは乗り越えてくれました。
カメキチと一緒にひなたぼっこをするサブエバと一緒にお昼寝するサブ冬の一番の楽しみはハウスの中でエバと一緒に寝ることでした。エバが近くにいると落ち着くようです。迎えた年末、子供たちと妻だけ妻の実家に帰省させ、私は猫たちと一緒に福岡で新年を迎えました。
子供ができてから帰省しなかったのははじめてのことでした。
妻は自分が残りたいと最後まで言っていましたが、私が残りました。
妻一人ではサブに点滴をしてあげることが難しそうだったからです。
12月31日 わたしの膝の上でくつろぐサブ2011年1月16日新年を迎えてからの1回目の痙攣発作が起こりました。
でも、サブは乗り越えてくれました。
この頃はまだ自分で窓際へひなたぼっこをしに行く力が残っていました食欲もありました。エバの食べ残しまで食べることもありましたサブはエバを好きなのと同じくらい息子のことも大好きです。息子が座ってるとすり寄って行きます1月27日朝、痙攣発作が起こりました。
この時もサブは痙攣自体は乗り越えてくれたのですが、ちょっとした問題が起きました。
痙攣後は脳の興奮を抑えるために肛門から座薬を入れるのですが、この時はそれがなかなかうまく入らず手間取ってしまったのです。
そのせいでしょうか、1日中ぐったりとしていました。
それでも、サブは頑張って自力で歩きました。
ご飯も、トイレもちゃんと自分で歩いて行きます。
後脚をほぼ引きずりながらも懸命に歩きます。
誇り高い猫です。
誰の世話にもならんぞとその背中が言ってました。
頑張れるうちは頑張らせるのがリハビリだと思い、トイレの位置を変えたり、ご飯の位置を変えたりはしませんでした。
ただ、トイレにはなんとか頑張って行くのですが、力が入らずにうまく用を足せないようでした。
夜になって、ついにこたつの中で初めて失禁してしまいました。
悔しかったと思います。
サブにいちゃんの変化に気づかない様子のエバ。いつものようにのんびり過ごしてます2月10日トイレの中でへたり込んで座ってしまい、動けなくなりました。
力を振り絞ってトイレまで来たけど体力の限界だよ・・っていう感じでした。
しばらく見ていましたが動く気配が無いので抱きかかえてハウスへ入れました。
エバと一緒にハウスの中で体を寄せ合って寝るのがサブの一番の楽しみなのです。
1月2日 エバと一緒にハウスの中でくつろぐサブ。サブは奥が好き。でも、夜間はエバがハウスを出たり入ったりしますので、サブを踏んでしまう危険があると考え、
ハウスに寝かせるのではなく、私が寄り添って寝るようになりました。
あ、サブにはもう一つ大きな楽しみがありました。
息子が教科書の音読をするのを聞くことです。
元気な時はこんな感じで、音読をする息子の膝の上に両手を置いて聞き入っていたのですが、
今は横になったまま聞いています。
でも、息子が音読を始めると明らかに穏やかな顔になりますので、きっと嬉しいんだろうと思います。
2月12日完全に歩けなくなりました。
トイレはおろか、水を飲みに行くこともできません。
かわいそうです。
誇り高いサブが、横になったままおしっこをするしかありません。
目から涙が出ています。
サブ、悔しいのか?
大丈夫。人間でも100歳超えたらほとんどがそうなんだよ。
2月13日おトイレ用のシーツを買ってきました。
半分に折りたたんで、寝ているサブの下半身の下に敷きます。
これでおしっこ対策はOKです。
水の入ったトレイを差し出すと、自分で体を起して飲んでくれます。
スープっぽいキャットフードをさらにスープ状にすり潰したものを与えるとピチャピチャと飲んでくれます。
「今はお父さんがお世話するから、焦らずちょっとずつ良くなろうね」
と話しましたが、この夜、また全身痙攣の発作がサブを襲いました。
でも、本当に強い子です。
この時の発作も乗り越えてくれました。
でも、この時から自力で体を起こすことができなくなりました。
どうやら目も見えていないようです。
もう僕らの顔を見てくれることはないのかなと思うと、かわいそうで、また切なくてたまりません。
2月17日深夜、サブの様子がおかしいことに気づき灯りをつけると、時々体をひきつらせています。
そしてもっと大変なことに、どうやら呼吸をしていないようなのです。
ヤバい!
と思いましたが、落ち着いて観察すると5秒に一度くらいは呼吸をしています。
でも、これまでの発作とは様子が違います。
もういよいよお別れなのかなと思うと、泣けて泣けてたまりません。
妻は、「無理させてごめんね。もう頑張らなくていいよ」とサブに謝っています。
もう本当にお別れを覚悟して、ハウスの中でスヤスヤ眠っていたエバを連れてきました。
サブが2歳になる前にもらわれてきたのがエバでした。
サブとは一歳違いの女の子です。
わがままで行儀の悪いエバを、サブは一度も叱ることもなく、怒ることもなく、
いつも優しく面倒を見てきてくれました。
「エバ、お兄ちゃんにバイバイって言おうね。ありがとうって言おうね」
と言って、エバの肉球をサブのほっぺたにあてました。
すると、サブは手をバタバタさせてエバを探しているようでした。
急いでサブの手をエバの体に触れさせると、サブの目から涙がこぼれおちました。
そして次第にひきつけがおさまりはじめ、サブはなんとか命をつないでくれたのです。
きっと、「エバを置いて行けない!」という強い思いで踏みとどまってくれたのでしょう。
でも、この時からサブの体調は最悪の状態に入ってしまいました。
自分で体を動かすことはできません。
注射器で水やスープを流し込んだ時にそれを飲み込むことと、
おしっこをしたことを知らせる時に手を動かすことくらいでしょうか、
それ以外はエバを近くに連れて行った時に、エバを触ろうとして手を動かすだけです。
サブがこんなにエバのことを大事に思っていることに、今さらながらに気づきました。
ずっとホットカーペットの上で寝かせていたのですが、
日中はエバのいるハウスの前で寝かせることにしました。
目は見えていないようですが、エバの気配を感じて穏やかな表情をしています。
2月20日注射器でしか飲めなかった水やスープを、お皿から飲むと言う偉業を成し遂げました!
驚くことに、視力も回復してきているようで、私の手の動きに合わせて眼球を動かしています。
もしかしたらサブは奇跡を起こしてくれるかもしれないねとみんなで喜びました。
2月21日防腐剤の入っていない目薬を買ってきました。
サブは目を閉じられないので乾いてしまうからです。
せっかく見え始めた目を守りたいという気持ちでした。
2月23日お皿からお水を飲むことはまたできなくなりました。
「良くなったり、悪くなったりしながら、少しずつ前進していこうね」と話しました。
でも、急激に弱ってきているようです。
口の中に水を入れても、横になったままではそれを飲む込む動作ができません。
母親が子供に母乳を与えるような姿勢で抱きかかえながら飲ませると、なんとか飲みこんでくれます。
目もまた見えなくなったようです。
今夜がもしかしたら最期かもしれないという予感がしたので、私と妻の間に寝かせました。
「もし逝っちゃっても寂しくないよ、サブ」と言うと、手をバタバタさせて私の腕の上に置き、
安心したような顔をしてくれました。
すると妻が大泣きしましたので妻の目の上にアイスノンを置きました。
2月17日の夜、お別れを覚悟した時に泣きすぎて次の日の朝、目が腫れ過ぎてケロロ軍曹みたいになっていたからです。
2月24日サブは、今朝も息をしていてくれました。
ありがとう、サブ。
でも、お父さん、おまえを無理やり生きさせているのかな・・
ほんとうは、痛くて痛くて、辛くて辛くてたまらないのかもな・・
もう楽になりたいのかもな。
猫は死ぬ時に飼い主に見られない場所へ行くって言うけど、おまえはもう歩けないもんな。
でも、できれば少しでも長く一緒にいてほしいんだ。
エバと、おかあさんと、かりんちゃんと、うみくんと、そしておとうさんと。
ごめんな、サブ。
2月24日 午後いつお別れの瞬間が訪れても不思議ではない状態です。
頑張るのか、もう眠るのか、サブが楽な方を選んでほしいなと思います。
苦しまないでほしいと願います。
でも、やはり理屈抜きでサブと別れたくない気持ちも押し寄せます。
ペットは本当に家族ですね。
こんなに悲しいなんて・・。
折りしも、大阪で動物病院をされているお客さまから、仕事のご依頼をいただきました。
ホームページに「ペットドック」のページを追加したいとのことでした。
『犬猫は一年で人間の4年分歳をとります。だから、高齢になったら少なくとも年に一度はペットドックで精密検査をする必要があります。そのことを伝えたくて・・・』とのこと。
先生のお話をうかがいながら、サブのことを思い、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
サブ。
今日はずっと一緒にいられるからね。
・人・
エバをペットドックに連れて行かなきゃ(汗)
あの子も、もうそろそろ19歳だから。
サブ永眠
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